人間とアンドロイド
このDetroit: Become Human(デトロイト ビカム ヒューマン)は、フランスのゲーム会社で作られたPlayStation4用のゲームです。
かなりの年数をかけて作られたもので、なかなかに奥が深いゲームなんです!
西暦2038年のアメリカ・デトロイトが物語の舞台で、そこには人間と、人間そっくりのアンドロイドがいます。
アンドロイドのおかげで、人間は過酷な労働から解放されましたが、同時に彼らに職を奪われる人間も増えていく…。
そのせいで人間側は反アンドロイドの排斥運動を始め、一方アンドロイド側には意思や感情のようなものを持ち始める「変異体」が現れ始めます。
一見、現実ではありえないような話ですが、近年、AI 等の開発が進んできているので実現するかもしれない未来なんです!
あなたの選択で運命が変わる
このゲームの特殊な所は、主人公が複数存在し行動を選択していくことにあります。
主人公たちには、それぞれのストーリーがあり、その場その場で選択を迫られます。
生かすも殺すもあなた次第。
決まった結末はなく、選択により変化します。
例えば、掃除する・しないや動く・動かない。これだけでも大きな変化がもたらされます。
その中でも、最も重要な選択が迫られる時があります。
その決断によって、最終的に辿りつく未来が決められます。
選ぶことにより変えられる未来。未来はひとつじゃない。
人とはなにか。
主人公はカーラ、マーカス、コナーの3人。
人とはなにか。私はそれが常に問われるゲームだと思っています。アンドロイドと人間にはさほど違いが無いのかもしれない。
だからこそ、アンドロイドとは人間とはなにか。プレイヤーが人間であるからこそ、考えさせられます。
アンドロイドが主人公のためかはよく分かりませんが、勝手に生み出し勝手に破壊しようとする人間が、いかに身勝手なのかが強調されています。
作中でコナーは、変異体は人間の感情を模倣しているに過ぎないと言います。
人間から学び模倣し始めたのかもしれませんが、日を年を重ねるにつれて本物の感情に変わったのではないでしょうか。
生きるとはなにか。
この作品は、「人とはなにか」を考えさせられますが、他にも「生きるとはなにか。」も考えさせられます。
人間に赤い血が流れるから生きているということなのでしょうか。哲学的な問いですが、意外と簡単な問いなのかもしれません。
彼は、カーラの物語に深く関わるアンドロイド・ルーサーです。
彼の歌っている歌、歌詞が示すのはどういう意味なのか是非考えて見てください。
答えは私にも分かりかねますが、自分なりの解釈を見つけると、このゲームにより入り込めると思います。